トップページ > 大歳神社(大竹)
鎮座地 | 〒739-0651 大竹市玖波5丁目1034 |
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電話 | (0827)57-7307 |
FAX | (0827)57-3003 |
URL | http://kimmygimmyyammy.wix.com/kuba |
御祭神 | 大歳神(おおとしのかみ) 副祭神 神大市姫、金山彦神、猿田彦神 |
祭典・神事 | 夏越の大祓・茅の輪くぐり(7月31日)、例祭(10月第2日曜日) |
文化財 | 玖波宿本陣 陣入やっこ(大竹市指定重要文化財<無形文化財>) |
境内社 | 伊勢宮(穀神社) 水神社 天満宮 祇園社 岩屋社 |
御朱印 | 対応できない |
創祀年代は詳らかではないが。古くは本殿横に神生石と書いてミアレイシと呼ばれる石があり、古代信仰において山や木や石などを神が宿った存在として崇めており、この神生石も、信仰の対象として崇拝され、後にその横に御神殿を建立したものと推測できる。
天文二十三年(1554)毛利元就と陶晴賢による厳島合戦の戦火により、御神体を奉持して、周防国玖珂郡山代生見村の内二箟の山中に逃れ、兵乱の後、弘治二年(1556)に祝師西村左衛門太夫吉久が再建する。この時の本殿はかや葺きであった。
慶長の頃、福島正則が入国した後、当神社の神田三町が没収される。
享保十五庚戌(1730)九月十七日の夜祭の時提灯より出火し社殿裏よりご神体を仮宮を設け遷宮し十八日の御祭礼を十九日に執行した。
この時、御幣が光と共に玖珂郡山代生見村に飛んで行き、返してもらうために、新しい御幣を奉納し、交換してもらったと伝わる。
その後、享保十七壬子(1732)西村河内守須久が本殿を御再建し、元文三戊午(1738)拝殿と廊下を建立した。
その後、天明(1781~9)のの頃、西村美濃守公久が本殿を御再建した。昭和二十年の枕崎台風などで"痛みが甚だしく昭和四十二年西村公尚がやむを得ず鉄筋コンクリートにて御再建し現在の社殿となる。
余談ではあるが、玖波の地名の由来ですが、古来、高庭・津葉と言う名で書物にでており、その後、玖波が山陽路の要衝であり、山陰との交通路でもあり又、港町で、ここに木材などの物資が集積していたため木場と呼ばれるようになる。
それがなぜ玖波と呼ばれるようになったかについて、古老の話によれば、大歳神社が玖波郡山城生見村と深いかかわりを持っており、当時神社の前面が入江で波打ち際であったために、玖珂の玖の字の下に波を付けて玖波となったとのことである。